
王塚古墳の装飾の歴史は古く、古墳時代の初期から行われていたようであるが、初めは石棺の側面や蓋の上のみの装飾だったようだが、その後は、石棺の内側や外側、さらには、石室全体にまで装飾が施されたとのことである。



この装飾古墳は日本全国に約600基が確認されており、その半数以上が九州地方、それも福岡と熊本に集中している。 ただ、知らなかったのだが、あの有名な高松塚古墳やキトラ古墳は「壁画古墳」と呼ばれており、この装飾古墳とは異なった種類のものとされている。



この「壁画古墳」と「装飾古墳」について、あの岡本太郎氏の論評が面白い。 以下、引用すると、『高松塚古墳など、明らかに大陸からわたってきた職人芸ではないか。 この土地の生活・思想と必然的に結びついているわけではない。 大陸の巨大な権力体制の下にできあがったパターンをそっくり移してきてなぞった、手先だけの職人芸だ。 これに対して、九州の装飾古墳は、その土地で、その共同体の中から、自然に、そして切実に生まれてきた表情だ。それは今日の芸術ポイントから言っても、より根源的な意味と強烈な広がりをもっているのである。』 と述べている。 なるほどである。






我々が見ているこの山々と青空と同じものを眺めながら千数百年前の我々の祖先は、何を考えながら、このようなものを造っていたのだろうか。 また、今の時代に触れたら、一体、何を思うのだろうか。 想像してみるだけで楽しい。

From Face Book: Ouzuka Kofun Tumulus(2).